第 51 週 平成20年11月16日(日)〜平成20年11月22日(土) 

第52週の掲載予定日・・・平成20年11月23日(日)

結   婚
(2p目/8pの内)




 挿画 児玉悦夫
 太田水穂の家ではたまたまお手伝いの女性が暇をとったばかりで人手が欲しかった。喜志子はその代わりをしなから文芸書を読むなど自由な時間をもらっていた。
 彼女が上京してから一カ月くらいたったある日、太田家を訪れる人があった。
 喜志子が玄関に出て見ると、よれよれの浴衣を着た色の黒い小柄な男が立っている。水穂の夫人光子に取り次ぐと、 『あら、若山さん。どうぞどうぞ−』
 招じ入れて二階に案内する。そして喜志子にそっと耳打ちした。
 『知ってるでしょう。創作の若山牧水さんよ』
 彼女も牧水の名声は知っている。広丘村にいたころ、創作社から社友になるよう活版刷りの勧誘状をもらったこともあった。
 二階の書斎にお茶を運ぶと、牧水は主人の水穂の前にちんまり座っている。その様子がいかにもつつましやかだった。
 『あの高名な新進歌人が1』
 喜志子には意外に感じられた。それと水穂の紹介で挨拶をかわしたおりに見た眼が印象的だった。
 服装は随分とお粗末だし、風采もあがらない。しかし、遠い所を見ているような瞳が澄んでいた。初対面から人に親しみを覚えさせるものがあった。
 牧水はほどなく帰って行った。玄関まで見送った水穂、光子、それに喜志子にていねいに挨拶して足早に去った。腰にちょこんと乗った兵古帯の結び目が歩調につれて踊るように見えた。
 牧水が喜志子に会ったのはその時一度きりだった。だが、数え二十四歳になるという信州生まれの女性に心をひかれるものを感じていた。
 その年の九月中旬、第四歌集『路上』が出版されると、扉に献詞を書いて喜志子に送った。
 喜志子は水穂方に四カ月程いて新宿二丁目の森本酒屋の二階十畳の部屋を借りて移った。同郷人で父に世話になったことのある男が新宿で越前屋という貸座敷を経営していた。
 独立して勉強するため、この男に自活の通を相談したところ、部屋を探してくれたうえに、越前屋から遊女たちの縫い物を回してくれることになった。
 その事を故郷に言ってやると母から自活用具に添えて自作の歌が送ってきた。
   ただ一人ををしくたたんそのかくご母は思ふぞ遠くにありても     琴女

 墨でしたためた歌を読んで喜志子は、遠く信州の空から愛娘を気づかう老いた母をしのんだ。十月中旬。広丘村の秋を想った。
 新宿の遊廓にほど近い酒屋の二階に間借りして、遊女の着物を縫って自活し、文学の勉強をする。
 少女時代から文学の道にあこがれていた喜志子にとって夢に見た生き様であったろう。 着物一枚縫えば一円二、三十銭になった。女一人暮らすのに困りはしなかった。
 だが、一人きりの自炊生活が二カ月も続くと、十畳の部屋が閑散として寂しく見えるようになった。
 それに当時としては婚期も過ぎる年齢になっている。女にとって真実の幸福とは結婚することではなかろうか−。そう考えはじめると、今の生活がひどく味気ないものに思えた。
 いったん故郷に帰って母とも今後の身の振り方をとくと相談してみたい。そう思うと矢も盾もたまらない。十二月に入るとすぐ信州に帰った。
 牧水が信州旅行を計画したのは、彼女が故郷に帰っていたころのことだった。
 そのころ、牧水は水穂に結婚の相談をしていた。小枝子との破局以来、みさおなき女との関係はあったが他に女性はいない。
 『太田さん。先日お宅でお会いした喜志子さんにはもう決まった人がおいでなんでしょうか−』
 口ごもりながら切り出してみた。
 『いや、あれも文学志望とやらで上京したんだが、夢と現実の相違に気付いて帰っている。そのおりに、東京暮らしはあきらめて故郷で結婚しておとなしく暮らすようにさとしたところだ』
 しかし、喜志子の様子ではまだ東京の生活に未練があるようだ。
 『若山君が、もしもらってくれるなら彼女もきっと喜ぶことだろうし、僕も安心なんだが・・』
 傍にいた光子も『ぜひそうして欲しい』と口を添えた。
 太田夫妻から賛成されていよいよ喜志子との結婚を真剣に考えることになった。彼女なら短歌一筋に生きようとする自分の志望を理解してくれるに違いない。
 それに信州の旧家の血をしのばせる落ちついたものごしに好感が持てる。彼女ならこれまでの乱れた生活を一変するための決心をささえてくれよう。  牧水は自分の考えを喜志子に会って直接伝えることにした。その思いを抱いてみすずかる信濃路を目指す汽車に乗った。
 三月十六日朝東京を出発した牧水は午後七時過ぎに長野県の坂城駅で降りた。山崎斌と信越新聞記者二人が出迎えていた。
 その足で同県埴科郡南崎村の山崎方に行った。当日から三日続いて雪だった。 
結   婚
(3p目/8pの内)




 挿画  児玉悦夫
結   婚
(4p目/8pの内)





挿画 児玉悦夫
 雪があがった十九日、馬車で上田に出た。それから月末まで信州の各地で歌会を開いた。
 早春の信濃の天地は静寂であった。だが、東京の新進歌人を迎えた土地の歌仲間の会は酒酒酒。三味や踊りも出る騒々しい歌会になった。
 二十九日の晩は、麻積で歌会が開かれた。たまたま喜志子が自宅に下宿している小学校の女教師が東京に帰るのを送って広丘村から出て来ていた。 そして歌の仲間から今夜、駅前の料理屋で若山牧水を囲む歌会があるが出ないかと誘われた。面識もあることだし出ることにした。
 料理屋で開かれた歌会はあとでは芸者まであげて騒ぐ宴会になった。喜志子はただただ目を見張るばかりだった。
 その夜、牧水は山崎の実家に泊った。喜志子も帰る列車がないのでその家に厄介になった。
 翌朝、牧水は結婚の話をするつもりで喜志子にもう一日ゆっくりしていくようしきりに勧めた。彼女も心が動かぬではなかったが、家の事が気がかりだった。逃げるようにして帰って行った。
 喜志子が帰り着くと、翌日には追いかけるように牧水から走り書きの葉書が届いた。
 四月二日に東京に帰るが、是非お会いしたいので広丘村近くの村井駅に出ていて欲しいと、列車の時刻を知らせてきていた。
 その日、喜志子は妹桐子を伴って駅まで行った。列車が着くと絣の着物にセルの袴、烏打帽をかぶり手提袋一つを持った牧水がプラットホームに降り立った。
 喜志子は汽車の窓越しに一言か二言、言葉をかわすだけのことと思っていたのに牧水が途中下車したから驚いた。
 牧水も喜志子一人とばかり思っていたのに妹を連れてきているのを見て意外に思った。
 『喜志子さん、私は次の汽車で帰るから次の駅まで付き合って下さい。歩きながらお話したいことがあるんです』。
 日頃尊敬している青年歌人からの誘いを彼女が断るわけはなかった。    三人は駅の裏手に出た。そこは桔梗ケ原に続く野原であった。その中を線路に沿って一筋道が通っている。
 信濃の山々はまだ全身を雪に覆われている。野原のあちこちにも残雪が白く輝やいていた。人通りのない野中の道すがら牧水は東京から胸に秘めてきた思いを喜志子に訴えた。
 『太田水穂さんご夫妻とも相談してきたんですが、喜志子さん、僕と結婚してくれませんかー』。
 唐突の申し出に喜志子はあやうくあげかけた声をのんだ。 
  喜志子にとって全く思いがけぬ牧水からの求婚だった。騒ぎ立つ胸を押さえて冷静に牧水の告白を聞こうと努めた。
 若山牧水は秀れた歌人である。あこがれとも言える感情を抱いてもいる。だから、きょうもこうして村井駅まで出てきた。
 しかし、一方で牧水の酒と放浪癖のうわさも高い。ほんとに、この人は結婚を機会にこれまでの救いようのない生活から脱脚しきるのだろうか。不安だった。 妹桐子は十六歳。すでに男女の問の感情を察しうる年頃だ。二人の話を妨げぬよう距離をおいて歩いていた。
 牧水の話はとつとつとしていた。だが、その一語一語に真実があふれていた。 喜志子はひそかに牧水を見た。あの東京の水穂方で心ひかれたあくまで清澄な双眸がそこにあった。
 いつも遠い所を見ているような眼。たとえ、他人がどう批判しようとこの人は世に言う飲んだくれではない。
 比類のない天性の資質を持った芸術家である。それをあの眼が語っている。私は、自分を犠牲にしてでもこの人の持って生まれた資質を伸ばしてあげたい。それが、私自身が持って生まれた運命かもしれない。
 この青年歌人の眼にすべてを賭けよう。
 六`余りの道をたどって塩尻駅につくころには喜志子はそう心に決めていた。 次の汽車が着いた。牧水は座席につくと車窓をあけて言った。
 『喜志子さん。必ず来てください』
 喜志子は大きくうなずいた。妹の桐子がいる。言葉には出せないが、牧水のあの眼を真直ぐに見つめた。
 それでこの方にはわかってもらえる。そう信じた。
 牧水は緊張した表情をくずして頬を染めた。汽車が動き出すと、
 『待っていますよ』
 あたりをはばからぬ声で言って手を振った。日頃はにかみ屋の彼に似ぬしぐさだった。
 喜志子と桐子は白銀の信濃の山脈のふもとへ汽車が消え去るまで見送って広丘村に帰った。

   かなしやな信濃の春はまだ暗し君は桜か東京(みやこ) へ帰る

   うす青き信濃の春に一つぶの黒き影置き君去(い)ににけり

 喜志子は両親に牧水と会ったことを話しただけで、求婚されたとはまだあかさなかった。しかし、母親は娘の様子から何かを察しているようだった。
 その夜、彼女は寝付かれなかった。寒い机に向かって歌幾首かを詠んだ。

   
つづき 第52週の掲載予定日・・・平成20年11月23日(日)
結   婚
(5p目/8pの内)





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