第 65 週 平成21年2月22日(日)〜平成21年2月28日(土)
第66週の掲載予定日・・・平成21年3月1日(日)
みなかみ紀行 (2p目/11pの内) 挿画 児玉悦夫 |
来て見れば山うるしの木にありにけり樺の林の下草紅葉 おのずと浮かんでくる歌を朗詠しつつ老樹の間を登って行くと柊花が感にたえて言う。 『これはいい、この調子だと今日は珍しく幾首もの歌ができるかもしれませんね』 言われてみると、牧水はこのところ心身の不調から久しく歌らしい歌を詠んでいない。 柊花の言葉通り、これをきっかけに詠めそうな気がしてきて身内に力がわいてくる。 峠には茶屋があった。牧水と柊花はここで別れの杯をくみ、女性二人は早昼の弁当をつかうことになった。幸い囲炉裏に岩魚の串がさしてある。梓川に合流する渓流で店の親父が釣ったものだと言う。 岩魚の串をもらって熟爛を飲むうちに一本ずつときめて飲みはじめた銚子が三本になり四本になる。 『−こうなったらついでに峠の下まで送って行こう。もう少し歩いてみたくなった』 麓までの通は約四`だが、これまでよりずっと険しい。 『それはありがたいが、帰りがねえ』 『帰りかね。帰りは大野川に回って今夜は泊まって来るよ』 白骨温泉の湯治宿とそば屋、雑貨屋の七軒の経営者はすべてこの温泉から最も近い集落大野川の住人。営業中は食料品から日用雑貨にいたるまで全部を大野川から牛の背におわせて登ってくる。 牧水はその事を聞いて大野川なる宿場町に興味を抱いていた。それが『帰りが』と言われた弾みに口をついて出たのだった。 柊花の老母はしきりに恐縮していたが、牧水ら二人は気にとめない。牧水はこれまでの下駄を茶店で買った草鞋にはきかえた。例の尻端折の軽装になり、下駄は旅館への手紙を添えて白骨に行く牛引きの若者に頼んだ。 峠からの道は山腹というより崖に近い急斜面を横切っている。下っていくと右手真下に今までと違った渓流が白銀の帯になって谷を縫っている。 乗鞍岳を源流とする大野川で、やがて梓川と合流する。三人とはこの合流点で左右に別れることになる。梓川は槍ヶ岳を始点とする槍沢から流れ出て本流の延長七十`、日本一″の名が高い清流だ。巨岩にせかれて飛沫をあげるが、水声はとどかない。 ほどなく別れ道に来た。繰り返し繰り返し別れの拶拶と再会の約束をして牧水は大野川の右岸をさかのぼって大野川の宿場へ、柊花ら三人は梓川に沿うて稲扱の宿に足を向けた。幾度か帽子を振った。 牧水一人になって歩みが速くなった。どうやら峠の酒がきけてきたようだ。 |
大野川の宿までの道は、両側に険しい山が切り立った渓問の底を流れに沿うている。酒の酔いで手足の筋がゆるんだようだ。一足ごとに痛むー。 『つい調子に乗りすぎたな』 湯治の身にこの山道は無理だった。後悔しなからひた急ぐ通の両側にアケビの実が幾つもたれているのが目についた。 多いつるには十あまりもついている。牧水はそれをもいで食べながら歩くうち、ふと沼津在の富士が見える家にいる四人の子供を思った。乳呑み児の富士人は母の胸から離れまいが、旅人、みさき、真木子の兄妹は広い庭で仲よく遊んでいるに違いない。 あの子らは父がいまこうして食べながら歩いているアケビの味を知らない。この実をつるごと箱詰めにして送ってやったらどうだろう。母がひも解く箱の中からぞろぞろつるについたままのアケビが出てくる。 三人は初めて見る山の珍果に目を丸くする。 牧水は、酔いが回った頭に浮かんだこの思いつきにこおどりした。 さっそく谷を分け入って熱心にアケビを求めた。谷川にかかる樫の木の枝にアケビのつるがからまっている。そのつるを引いていると、ふと遠くから歌声が聞こえてきた。 東高津谷(たかつや)西駒ヶ岳、あいを流るる天竜川 天竜下ればしぶきがかかる持たせやりたやひのき笠 白骨温泉に泊まっている農家の若者たちは湯治というより遊山だ。朝は二時三時ごろには共同浴場から彼らの歌声が聞こえ、夜は十二時近くまで切れ間がない。 牧水は初めうるさく思った。だが、少しのいやみもない素朴な歌声にいつしか親しみを覚えるようになっていた。 彼らが歌うのは決まって木曽節と伊那節。信州自慢の民謡だった。 アケビをとる牧水の耳にとどいたのは伊那節だった。天竜川ぞいの伊那谷でうまれたこの民謡は節回しが優婉だ。牧水はつるを引く手をとめてしばし聞きほれた。 牧水は、牛を引いて渓間の通を上下する若者たちが、連れ立って姿を現わすに違いない。そう察して心待ちした。 だが、違っていた。しばらく歩くうちに洪水で崩れ落ちた道を修理している若者たちがいた。彼らの歌声であった。 日がまだ高いはずだが、切り立つ山に秋の日を妨げられた渓間は日暮れのように薄暗い。たき火をしなから若者二人と父親らしい男一人が石を起こしていた。 不意の旅人に歌声がやんだ。挨拶して通り過ぎる牧水の背に大野川の風が冷たかった。 |
みなかみ紀行 (3p目/11pの内) 挿画 児玉悦夫 |
みなかみ紀行 (4p目/11pの内) 挿画 児玉悦夫 |
大野川ではただ一軒の商人宿蕎麦屋に宿をとった。宿の者に紙箱をさがさせて道々採取してきたアケビをつるごと入れて、明朝ここの無集配局に頼むことにした。 疲れ切っていた。早々にふろに入って酒を頼んだ。だが、あいにく酒が二合きりしかない。それじゃあビールをと言ったが、これも一本だけ。なんともわびしい夕食になった。 午後別れたばかりの柊花に葉書を書いた。 梓川かや大野の川か合うた所で別れます。 水になりたやそば屋の前の流れ流れて稲扱へ きけばきく程そば屋の前の水の流れが身にしみる 飲むはおささか涙のつゆか焚火煙りて目が開かぬ 飯の茶わんとおつゆのわんと二つ並んでわしゃビール ビール々々とバカにはするな乃公はビールで泡たたぬ たたぬ思ひをビールに寄せてせめて泡でも見る気持 ちょいと前見りゃきのこの肴きのこ塩漬酒ほしや お前ビールかわしゃやぼ徳利とくりとくりと寝たいかい お前柊花か今夜の泊り稲扱あたりかねたましや 泊り泊りで日を夜を暮す今夜あたりは大野川 大野川かやそちゃうらさびし酒のないとこ渓の音 宿の前ではをんなの声よなんでか知らぬが身にしみる わたしゃおまへとをかしい因果ともにゐなけりゃ気が済まぬ −翌九日は朝から雨だった。目ざめる前から宿の前の大野川の水声にかなり激しい雨音が混じって枕元にとどいていた。 のしかかるような両側の山がすっぽり厚い雨霧につつまれている。待っていても雨足が切れそうにない。宿のおかみに頼んで古傘一本を分けてもらって九時前に出立した。 牧水は白骨温泉に二十日間程いて十月十五日朝、上高地を目ざして宿を出た。滞在中の支払いは一泊二円ほど。それに綿引、中村らと飲んだ酒が一升瓶で六本。一本二円の勘定だった。 宿の者たちに挨拶して外に出ようとすると、勝手元からおかみが小走りに出てきて牧水の袂をとらえた。 『これはオレからあげるんだからー』 手拭いや煙草、菓子袋を無理に押し込んでくれた。いつもは無口で滞在中ほとんど口をきいたこともないのにー。山の湯の人の情がうれしかった。 |
牧水は白骨温泉から梓川の清流をたどって上高地温泉に行き、できればそこで一泊して焼岳に登るつもりでいた。そのために老案内者を頼んで宿を出た。 切り立った崖を長雨のため水量を増した岩清水が走る冠水渓を過ぎると森林の中の小径がとろとろと続く。林の中は枯れた下草が背丈ほどに茂り、小径には新しい落葉が散り積もっている。 その落葉の下に橡(とち)の実がぬれて光って見える。午前八時に立ってきたので雪とも氷とも見まがう霜が一面を真白く覆っていた。 先導していた老寮内者が不意に傍の雑木の中に分け入った。やがて出て来た彼が息をはずませて告げた。 『旦那、やっぱりオヤジ (熊)だったよ。アリの巣を食っていた』 さっきからオヤジの足跡があったので気をつけていたら、深山にまるい土の塔を作っている大好物のアリの巣をごっそり食い荒していた。それも、跡が乾いているのを見ると昨夜たり出たに違いない−と言う。 『この山にも熊がいるのかねえ』 驚いていると、 『山どころか、温泉宿の勝手口の裏にもちょいちょい出て来て餌をあさるだ』 ぶっそうな話を平気で言う。 七十歳前後の老案内者も猟師だそうで、ここの村には一人で毎年七、八頭も仕止める者もいると語る。 『きょうから鑑札日だ。宿の総領もあとから若い衆″打ちに来るはずだ。わしだって、旦那のお供をしなけりゃ一緒だったんだが』 残念そうに言った。十月十五日は狩猟解禁日だ。若い衆″はサルのことで、『あの山が若い衆″の狩り場だ』と、右手の山を指さした。 渓流からはなれて山腹の傾斜地にかかると一面焼野原になっている。白樺の巨木が半ば燃えたまま立ち枯れしている。無残な景色だが、その焼跡に落葉松の苗が植えてある。 焼跡を囲む森林は見事な紅葉だ。牧水が思わず嘆声をあげると、老案内者が言う。 『今日あたりが盛りづらよ。明日か明後日になるとへエ散るだから』 落葉で滑りがちな小径を二時間近く登って休むことにした。枯すすきを折り敷いて座ると、牧水らが登ってきた山と、対面する霞沢岳との間の狭い中間の空に焼岳の頂がそびえていた。 焼岳は標高二千四百五十八b。頂上、中腹、根方と、山全体から白煙を噴出している。その白煙が心もちこちら側に流れている。 『煙が信州路だ。また雨だなあ』 つづき 第66週の掲載予定日・・・平成21年3月1日(日) |
みなかみ紀行 (5p目/11pの内) 挿画 児玉悦夫 |