誕 生 と 名 づ け
おもひやる かのうす青き 峡のおくに
われのうまれし 朝のさびしさ
父・立蔵と母・マキ
牧水が育ったころの生家付近(手前が生家) |
牧水は明治十八年八月二十四日の朝生れました。 丁度,旧暦お盆の十五日の朝で座敷に寝ていた母を縁側に移して座敷の掃除 をし、そのまま 台所で炊事をしていたら母は産気づいて縁側で牧水は生れました 。 「繁」の名づけ について牧水は 『 おもひでの記 』 に次の様に記しています。 「生まれて程なく、私の命名が行わるる日が来た。 恰度その一二日前に祖父は どうしても遠方へ出ねぱならぬ事があり、その日になったら斯う いう名をつけろよと言い置いて他出してしまった。 それは 玄虎 という名であった。 第一に不服を称えたのは二人の(一人の姉はまだ幼なかった)姉である。 ゲンコ と云うのは土地の魚屋などの使っている数の符丁である。 そんな馬鹿な名があるものでない、構わないから祖父さんの留守に変えてしまえというので、 二人して考えた末、 繁 という名にして役場にも届けてしまった 。 彼の頑固な祖父が定めし怒った事であろうと思うが、取消されなかった所を見ると或は唯だ 笑って済ましたのかも知れない。 姉たちが斯ういう名を考えついたのは当時の東京絵入新聞の続きものに出てくる女傑に自 ら男装してまで学問をした葉山志許留という非常な勉強家があったので、葉山と若山と似ても 居り、それにあやかる様にと斯う名づけたのだそうで ある。 不幸にしてこの 繁 は稀有なる怠情者として生い育つことになってしまった。 」 |