「中央新聞社に入社」のころ
明治四十二年 七月(1909)23歳
明治四十二年七月、中央新聞の記者で入社し同年十二月退社しました。牧水は
その時のことを随筆「貧乏首尾無し」の記事の一節に次のように書いてあります
当時の牧水 |
「早稲田の学校を出たのはたしか二十四歳であった。 学校にいる間も後半期は郷里からの送金途絶えがちで あったので半分自ら稼いで過していた。 学校を出ると程なく京橋区の或る新聞社に勤めた。 月給二十五円であった。 社命で止むなく大嫌いの洋服を月賦で作ったが、ネクタイ を買う銭がなく、それ抜きで着て出ていたところ・・・そうだ、 靴をば永代静雄君のを借りて穿いたのだった・・・社の古老 田村江東氏が見兼ねて自分のお古を持って来て結んで呉 れた。 居ること約半年、社内に動揺があって七人程打ち揃うて 其処を出た。」 |
「歌壇の花形となる」ころ
明治四十三年 四月(1910)24歳
第3歌集「別離」 |
明治四十三年四月、第三歌集『別離』を出版しました。 この歌集で牧水は歌壇の花形となり、前田夕暮の歌集『収穫』 とともに高く評価されて歌壇に「牧水・夕暮時代」を画するに至り ました。 しかし生活は至って貧困でした。 |