「早稲田大学のころ」 の二枚目

 明治三十九年の夏休みに帰郷し、中学時代からの親友 平賀春郊 と日向市
出身の歌の友 日高秀子 と三人で細島海岸(日向市)を散歩した時の作歌二首・・
海の声 ほのかにきこゆ 磯の日の
     ありしをおもふ そのこひしさに


物がたり 磯の夏樹の 花かげに
     涼しかりにし 日をおもふかな

        
秀子の訃報に接して

いま瞑ちむ 寂しき瞳 明らかに
       君は何をか うつしたりけむ


短かりし 君がいのちの なかに見ゆ
    
   きはまり知らぬ 清きさびしさ

日高秀子

    
 
   ふるさとの お秀が墓に 草枯れむ

   
海にむかへる 彼の岡の上に



      日向市細島に建てられている秀子の歌碑




新聲(明治39年4月)

  
大学を卒業する1年前(22歳)の明治40年10月から文芸
 誌
「新聲」の編集に関与することになりました。
  この頃から純文学者として身を立てる決意を固めたようで
 す。
  牧水初期の歌風が確立したのもこの頃で、
「新聲」紙上に
 発表した歌が文壇の注目を受け始めたといえます。


  
さかのぼって、明治35年延岡中学校4年(17歳)の時
 「新聲」
に投稿し 6月15日号に短歌1首が掲載されていま
 す。





  牧水は明治四十一年七月五日に早稲田大学英文科を卒業しました。
 卒業と同時に第一歌集
『海の聲』を出版しました。
 
定価五十銭でしたが売れませんでした。
 仕方がないので八銭で古本屋に売りました。

 故郷では老父母が息子の大学卒業の晴れ姿を一日千秋の思いで待っています。
 村人は初めて村からの大学卒業と大きな期待の眼を輝かして待っています。
     
第一歌集海の聲

 牧水は旅行して七月が過ぎても帰りません、八月が過ぎても帰りません、九月の初
めに、二か月の旅行で頭髪は伸び着物は汚れみすぼらしい姿で帰ってきました。
父母の落胆の姿や村人たちの冷眼が牧水の心にどう映ったのでしょうか。
 二十日ばかり家に居て、次の二首の歌を残して旅立ちました。


       父の髪 母の髪みな 白み来ぬ
        
    子はまた遠く 旅をおもへる 

       一人の わがたらちねの 母にさへ 

    
        おのがこころの 解けずなりぬる