第 20 週 平成20年4月13日(日)〜平成20年4月19日(土) 
第21週の掲載予定日・・・平成20年4月20日(日)

上    京
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 挿画 児玉悦夫
 牧水の部屋は二階の東側になっている。その二階のひさしを打つ雨の音“て目がさめた。
 四月四日、いよいよ上京の朝である。中窓の小障子をあけると、尾鈴は厚い雲につつまれていた。坪谷川の川面は雨もやでけぶって見える。
 階下ではマキとシヅが忙しく立ち回っている。かん高い声が階段を上ってくる。  降りていくと囲炉裏のそばにもう箱膳がそろえてあった。横座に立蔵が背を丸くして座っている。燈明がともっている仏壇に手を合わせていつもの座についた膳には盃がふせてあった。
 『からだが一番じゃからー』
 立蔵がそう言って徳利をとりあげた。
 『さあ、門出の盃じゃが−。それから向こうについたら都農の佐太郎あんちゃんに手紙を忘れんごつ−』
 マキは身づくろいをすませていた。細島まで送っていくことになっている。
 『繁−。東京で迷い子にならんどつせにゃぞ。言葉もわからんじゃろかい』
 立蔵とマキがひどく改まった顔をしている。それをほぐすようにシヅが軽口をたたいた。
 めいの絹にも盃を持たせて門出の膳が始まった。そのうち表で人の声がしてくる。見送りにきた近所の人たちだ。
 坪谷から山陰までは人力車を二台呼んである。車夫が『それじゃそろそろ』と顔を出したのをしおに牧水も座を立った。
 坪谷から山陰までの街道はおおむね坪谷川に沿っている。若山家を出てほどなく淵にそって大きく曲がる。その曲がり鼻を『石原鼻』と土地では呼ん“ている。
 牧水とマキを乗せた人力車が石原鼻を曲り切るまで、立蔵とシヅは雨の中に立って見送っていた。牧水はこの鼻を曲がると人力車のほろをおろした。
 父と柿に見せまいとこらえていた涙があふれてきてとどめようがなかった。
 山陰では叔父純曽の家に寄ってあいさつをした。思いがけず美々津の福田実次郎が待っていてくれた。
 『繁やん、必ず成功してくれよ』
 彼も、牧水の上京までのいきさつを知っている。励ます言葉に万感がこもっていた。
 ここから先は乗合馬車になる。牧水とマキは並んで座った。雨は小止みもせず降りつづいている。
 山陰の町におおいかぶさる冠獄には早くも幾筋かの小さな滝が見えていた。
 傍のマキの横顔をぬすみ見るようにうかがった。深いしわが刻まれていた。初一念を通した進学であったが、果たしてそれでよかったのか−。小さな迷いが浮かんだ。

 細島ではなじみの日高屋に宿泊を予約してあった。夜になると、級友の小田四郎や都城中学の卒業生という二人も同宿した。進学のため上京する若者たちだった。
 土地の同級生日高園助も顔を出した。壮行の宴じゃ−と言って宿にちょうしを頼んでくれた。彼は神戸高商進学が決まっている。
 牧水も朝の出立の感傷はいまはない。マキもくつろいできていた。
 『おばさんも一緒に東京見物に行ったらどうね』
 『繁じゃあるまいし」
 日高の冗談にも気軽に応じた。思えば、この日高屋。牧水には母にせがんで金比羅参りと大阪見物に連れて行ってもらった思い出がある。マキの『繁じゃあるまいし』は、そのことで牧水をからかったものだった。
 神戸行きの汽船は翌朝細島港に入り、すぐに出航の予定だった。
 ところが、夜のうちに風波が高かったため到着が遅れた。回船問屋に入った連絡だと、まる一日遅れるという。
 乗船するのを見送ってから帰るつもりだったマキも二晩もは泊れない。心を残しながらも翌日午後には帰って行った。
 牧水は老いた母の後ろ姿をわびしく見送った。だが、それもひとときだった。牧水の出航を送るつもりで集まった土地の級友や後輩たちがそのまま日高屋に居残った。
 だれ言うとなく送別会になった。宿の女中に秦タカというかわいい娘がいた。なかなかの愛きょう者で、牧水らのいい遊び相手になってくれた。チップ二十銭をはずんでやった。
 船の延着は恩わぬ拾い物だった。
 六日朝七時、ようやく神戸航路の貨客船『朝日丸』が入港した。すぐに乗船した。
 細島港を出たはなはないでいた海も、鶴見崎、佐賀ノ関、硫黄灘、周防灘と進むにつれてかなりの風波で、朝日丸は大きく揺れた。
 だが、幸いにして牧水は船には強い。
 船酔いで青い顔をしている船客を横目に、鹿児島出身という学生二人と飯の食い比べをする茶目気もみせた。
 佐多岬を過ぎるとき、『日進』『春日』の軍艦と行き違った。船酔いの船客まで甲板に出て手を振った。『万歳々々』絶叫する者もあった。
 日露海戦の行きか帰りか−。軍艦からはこたえる姿はなかった。
 翌七日正午に神戸港に着いた。母マキの親類になる長田の叔母が出迎えてくれていた。
 夜は市内見物のあと神戸名物のすきやきを馳走になった。もったいないほど電飾が明るい目抜き通りを案内してもらいながら、都会人の仲間入りした気分になっていた。
上    京
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 挿画  児玉悦夫
上    京
(3p目/4pの内)










挿画 児玉悦夫
  神戸には一晩泊りのつもりだった。在京の小野葉桜にもそう連絡してあった。
 だが、長田家では叔父をはじめ皆で引き止める。折角の機会だから、春の神戸の名所を案内すると言うのだ。
 もともと母マキの実家長田家では若山家の者たちを厚遇した。まして牧水の卒業と進学祝いのつもりだから格別だ。むげに断わりもならず滞在を一日延ばして、まる一日名所見物で費した。
 九日は夜が明けきらぬ午前四時十三分。一番列車に乗った。叔父たちが駅まで送ってくれたのに感激した。
 葉桜には到着日時の変更を前日に電報で知らせてある。間違いなく新橋駅に出迎えていてくれるはずだ。
 牧水はこれまでに金比羅参りと大阪見物の旅と、熊本と大分の二度の修学旅行で汽車には乗っている。だが、長途の汽車の旅は初めてだ。
 少々興奮ぎみだった。当時宮崎県内に鉄路は敷設されていない。陸の乗り物は馬車と人力車だから無理もない。
 車内は神戸駅からの満席状態がずっと続いた。日露戦争のため兵員と軍需物資輸送に多くの列車が振り向けられている。一般列車の運行ダイヤが随分間引きされている。そのための満員列車だった。
 牧水にとってはそれはどうでもいい。車窓の走る風景に気を奪われていた。 地理や歴史で習ったなじみの地名や風物が、目まぐるしく現われては消える。彦根城に名古屋城。琵琶湖と浜名湖。
 ころは四月。桜前線の後を追って東海道を東上しているのだが、車窓から見る限り、どこも桜の花の真盛りだった。
 列車は十日午前六時、車輪をきしませて新橋駅に停車した。プラットホームに降り立った牧水の胸中にあるのはただ一言・・・。
 『とうとうやって来たぞ−』
 考えられぬほど足早に階段を登り降りする人の波に押し流されて改札口を出た。いるはずの葉桜の姿がない。
 うろうろしていたら 『おい、何をぐずぐずしている!後の者の邪魔だ』
 振りむくと巡査がこっちを指さしている。
 内心むかっとしたが、あわてて改札口付近を離れた。急におかしくなった。 坪谷を出立する朝、膳に向かっていた牧水に投げかけた姉の軽口を思い出したのだ。
 『おうい、若山君、すまん、すまん』
 あたり構わぬ大声で人目をひきながら葉桜がやっと姿を現した。牧水の緊張が一時にゆるんだ。あいさつもそこそこに宮崎の田舎歌人二人は雑踏から逃れ出た。
 小野葉桜の案内で皆目道筋の見当もつかぬうちに麹町三番町五七の伊川方にたどりついた。葉桜の下宿先だ。牧水もここに腰をおちつけることで話が決まっている。
 二階の部屋で持ってきた身回り品の荷ほどきしているところに学生が入ってきた。
 『若山さんですか。岩本です。あんたのことは小野さんから聞いていました』。 岩本は美々津出身と言う。前年春に上京、学生生活をおくっていた。
 『美々津には、親類で福田君というのがいます。よく行ったので町の様子は知っているつもりだけどー』
 この下宿にいる限り、東京といったって故郷の延長みたいなものだーと気強くなった。・
 郷里に電報で到着を知らせる用件もあるので、昼から三人で下宿を出た。母マキと神戸、それに大見達也に無事着京を知らせてやった。
 これでひと安心。あとは上野の桜見物にしゃれこんだ。下宿と道一つへだてた靖国神社にも参拝したが、東京は桜の満開時、どこも花見客でごった返ししている。
 ことに上野の人混みとチリとほこりには肝をつぶした。車中睡眠不足でしょぼつかせていた両眼に痛く感ずるほどだった。
 牧水の東京の第一印象はまず上野の人とチリ、ほこりだった。
 『−特に塵(ちり)は旅中睡眠不充分の眼に用捨なく吹き込んで、この立派な眼をむごたらしく痛め候−』
 滞京日記の第一ページに記している。
 上野の帰りには駿河台の杏雲堂病院に寄った。東郷出身の看護婦富山しげが勤めている。喜んで迎えてくれたが郷里の消息をつたえただけでこの日は別れてきた。
 夜には都農町出身の坂田弁二が下宿をたずねてきた。
 牧水は二年前の八月に坂田と面識ができている。夏休みで帰省中、ふと思い立って都農の河野佐太郎宅に行った。同家で四日間はど過ごしたが、その一晩、坂田が牧水をたずねてきた。
 当時、短歌同好者の間でも牧水の名がようやく知れてきていた。坂田も同好の一人だった。二人は文芸談に時を忘れたものだった。
 牧水はこの夜、薄い布団に横たわって、新橋駅のプラットホームでかみしめた思いを再び新たにした。
 『思い切って上京してよかった』 葉桜、岩本、坂田ら同郷の若者たち。それに看護婦の富山の話を聞いただけだが、今の自分にない何かを彼ら彼女たちは身につけている。口に出すわけじゃないが、身の回りに漂っているのを敏感にかいでいた。
 『よし、やるぞ』声に出して言った。

   
つづき 第21週の掲載予定日・・・平成20年4月20日(日)
上    京
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