第 86 週 平成21年7月19日(日)〜平成21年7月25日(土) 

第87週の掲載予定日・・・平成21年7月26日(日)

鶴まふ旅路
(3p目/3pの内)





 挿画 児玉悦夫

  関釜連絡船『昌慶大』はその日、つまり五月十六日午後六時半に釜山港に着いた。港には平山斌ら未知の社友四人と新聞記者ら数人が出迎えていた。
 驚いたのは小、中学校時代の同級生小曽戸俊男が高女三年と小学三年の娘と息子を伴って姿を見せていたことだ。小曽戸はこの地の産業関係の役所の上席に座っていると言う。
 平山は当時は同盟通信釜山支局員で大正十四年に創作社友になった。後に読売新聞延岡通信部に在勤する。
 その夜は東莱温泉に泊り、翌十七日夜は釜山の金剛寺で開かれた歌会に出席した。そして十八日、快晴に恵まれて半島の各地をめぐる長旅に出発した。
 その後は光州、木浦、珍島、竹林洞、礼山、京城、金剛山、元山、仁川、大邱と回って七月八日釜山に帰り着いた。
 各地の世話人たちの配慮で数日間の休養や名所旧跡見物の余裕はあったもののこの長旅に牧水と喜志子は疲労困懲しきっていた。とくに炎暑の中の金剛山見物でむやみに飲んだ渓谷の水にあたってひどい下痢をした後遺症でよろぼいよろぼいの状態だった。
 だが、未知の国の旅は疲労だけではない。楽しい経験もした。竹林洞に向かう途中、しゃらん、しゃらん鞍に鈴をつけた馬に乗って海岸を行くうちに磯の岩から幾羽もの真鶴が大きい翼を豊かにひろげて舞い立った。
 牧水夫妻が初めて目にする光景だった。興奮した牧水は鞍をたたいてあの美声で即興の歌を朗々とうたい出した。

 潮干潟ささらぐ波の遠ければ鶴おほどかにまひ遊ぶなり

 金剛山中にある長安寺などの伽藍や、白雲台から眺めた夕日に照る衆香城峯の美観は筆舌に尽し難かった。その感動が直ちに三十一文字になった。

 咲き盛る芍薬の花はみながらに日に向ひけり花の明るさ

 まなかひに聳え鎮もりたふとけれをろがみ申す衆香城峰

 たぎつ瀬にたぎち流るる水のたま珠より白き山木蓮の花

 また六月七日午後七時四十分から八時過ぎまで京城放送局から講演と朗詠のラジオ放送をした。牧水の生涯ただ一度のラジオ放送になった。
 はるけき旅路であった。釜山の知人宅で十一日まで身体を休めて同日夜の連絡船に乗った。海が荒れていて喜志子の船酔いが心配だったが、牧水も喜志子も愛児らが待つ沼津に早く帰りたかった。だから無理をした。
 しかし、九州ではまだニカ所、揮毫会を開く日程が待っている。

 十二日朝、連絡船が下関に着いた。八幡の三苫守西ら社友が迎えに出ていた。門司に渡って駅の近くの食堂で僅かな時間くつろぐとすぐ午前十時半発の汽車て大分に向かった。
 大分に着くと揮毫会の打合せのため大分新聞社に行った。係の話では都合で十七日に開くことになったと言う。それまで日程があくわけだが牧水夫妻には願ってもないことだった。
 別府の温泉で休養することに決めて亀の井ホテルに宿をとった。散財のようだが四室ある離室を借り切った。積もり積もった疲れをゆったり慰やしたかった。
  『不思議に命永らえて昨日日本国の人と相成り申し候。足腰立たず、止むなく此処の湯にて温め、立つを待って沼津へ帰り申すべく候』 (信州の中村柊花あて)
  『ちんのみんのかじり(註・かじりつくほど可愛い子の意)よ。けふ、とんちん(父)とかころん(母)と、とても美しいちん(みさきのこと)のおべベをおみやげに買ったぞよ。よろこべよろこべ。みちっぺ(女中の名)にも買ったといってくれ』小学六年の長女みさきあて)
  『−一切客を謝して寝込むことにしている。昨日、中津(大悟法の両親が往む)を通る時、心の内で合掌して過ぎた』 (大悟法へ)
  『とにかくお近くに参りました。禿山の国から瑞葉の国に帰り忽ち心眼の蘇るのを覚えました』 (谷次郎あて)
 温泉にのびのびとひたってぐっすり眼った翌十三日、堰を切ったように手紙を書いて無事帰着を伝えた。牧水も喜志子もー夜で元気を取り戻したような弾みようであった。
 十七日揮毫会を済ませるとそのまま汽車に飛び乗って同夜のうちに延岡に着き、台雲寺に落ちついた。住職の長田観禅が母マキの異母弟、牧水にとっては叔父になるため気兼ねがなかった。
 朝鮮に渡る前に延岡に寄った時は谷次郎方に泊っている。今度は次郎の妻サダ子が三女郁子をこの月の七日に出産したばかりだったたため遠慮して台雲寺に直行したものだ。
 五月に泊った夜、次郎は自分がたしなまないためわざわざ牧水の酒の相手を呼んでいた。サダ子は心尽しの手料理でもてなした。牧水は刺身のつまのハスガラをつまんで『僕はこれが大好きなんですよ。それが沼津にはなくてねえ』と目を細めたものだった。
 夜、床に着く前、牧水がサダ子に頼んだ。
  『奥さん、お酒を一本だけ願います』。
 サダ子は正直に銚子一本を枕元に用意した。翌朝、牧水はいつものように早起きして庭を歩いていた。次郎は心配してサダ子に言った。
  『お酒が足らずに早くお目覚めでは?』
時告ぐる鐘
(1p目/5pの内)




 挿画  児玉悦夫
時告ぐる鐘
(2p目/5pの内)




挿画 児玉悦夫

 谷次郎は、牧水が朝鮮旅行に出発する直前、延岡での揮毫会開催には尽力するが、深酒をやめて健康にご留意下さいと手紙で懇請している。しかし、根っからの酒奸きの牧水に寝洒一本きりでは寂しかったろう。そう思ったからサダ子に言ったものだ。
 この時、すでに娘二人の子持ちであった彼女だが、まだ良家の細君というよりは、恵まれた家庭に育った令嬢の面影が消えていなかった。それで牧水の注文に素直に従ったまでだ。
 次郎とサダ子が結婚したのは大正十年三月である。二人はその前年の秋えびの高原に旅している。その析の次郎の歌がある。

 君が眼もわが眼も澄みて窓により高原の夜の月を仰ぎつ

 わが言葉いちいち胸にうけ入れて妹はすなほにうなだれて寄る

 次郎の心配げな言葉を聞いてサダ子は胸に小さな痛みを覚えた。
 だが、それは余りにも純粋な夫妻の取り越し苦労と言うべきであった。牧水も喜志子も地方随一の素封家のたたずまいをそのまま伝える豪邸で、しかも主人らの心のこもったもてなしに感激しきっていた。
 喜志子は、次郎が二十六年六月九日没した後、サダ子と大悟法利雄が編集発行した『谷次郎歌集』(新伊豆社、39年3月20日)に序文を寄せ、その末尾をありし日の次郎をしのぶ歌八首で結んでいる。

 香り高き五ケ瀬の川の鮎うるか偲ぶだに君や面影に立つ

 つつましく言葉すくなに語りまししみ声は今も耳に残るを

 また、大悟法は一途に師牧水を恋うるが如く敬慕する次郎の心情を次にうたう。

 牧水を深く知りかつ慕ふこと君の如きをわれは見ざりき

 断片だが、牧水と次郎の美しい師弟関係を伝えた。だから、牧水は延岡で初めて揮毫会を開くにさいしても次郎に格別の世話を依頼したのだった。
 話は前後したが、七月十七日夜、牧水夫妻は白雲寺に着いた。叔父の長田観禅住職と妻咲子は庫裡の二階全部を彼らの滞在中の居室にあてていた。
 玄関に立った牧水と喜志子はいかにも疲れ切っていた。観禅の長男康哉は延岡中学四年生だった。牧水とは従兄弟同士になるのだが、牧水が延中第一回生、康哉は二十五回生。親子ほど年齢が違うから従兄を『繁おいさん』と呼んでいた。
  『やあ康ちゃん、元気じゃったかい。今度はやっかいになるよ』。
 いつもの柔和な笑顔だったが、『おいさん』の眼の色に疲労の色が濃かった。

 後ろに深い木立と泉水をあしらった台霊寺の庫裡の二階は翌日から修羅場に変わった。赤いモウセンを広げ画箋紙を伸ばしてしり端折った牧水が朝から筆を振るっていた。
 谷次郎は朝昼晩と、仕事の合い間というよりは勤めをほうっておいて詰めていた。牧水の延中の一回下の寺沼伝二や佐竹辰衛らも半折の依頼名簿を持って足繁く往来した。
 土瓶につめた冷酒を湯呑に注いでちびちび口をしめしながらほとんど無言で筆を走らせる牧水の表情はきびしかった。中学四年の従弟康哉には近寄り難い雰囲気が感じられた。
 ある日の午後、東京の話でも聞かせてもらおうと、康哉が二階に上っていった。牧水は揮毫に倦んで腰高の窓にひじをついて庭を眺めていた。傍の盆には酒の土瓶と湯呑があった。喜志子は町に出て不在であった。声をかけようとしたが、『おいさん』の後ろ姿がいかにも心細げであった。
 康哉はそのまま足音をしのばせて階下に降りて行った。

 なつかしき城山の鐘鳴り出でぬ幼かりし日ききし如くに(延岡にて)

 延岡市城山公園の梅林の奥に建立されて春の彼岸の中日に歌碑祭が営まれている歌碑の歌は台雲寺滞在中に詠んだものだ。康哉はこのとき、牧水の胸のうちにこの歌が湧いたものと信じている。
 朝夕、城山でつく鐘の音は五ケ瀬川を渡って真っすぐに台雲寺に流れて来る。眼をこらせば鐘つき堂の人影もはっきり見通せるようでさえあった。長旅と金剛山での水あたりですっかり弱りきっていた牧水の身体に城山の鐘はしみいるように響いた。
 城山の鐘は大正十三年春、父立蔵の十三回忌を営むため帰郷、延岡の谷邸で夕食をとったおりにも一首詠んでいる。

 故郷に帰り来りて先づ聞くはかの城山の時告ぐる鐘(延岡町)

 牧水は独りいるときふと寂しさを身辺に漂わせる人であったが、ふだんはほほえみを絶やさぬ人であった。揮毫のさいも墨すりと半折の押さえを気軽に康哉に頼んだ。康哉はそれがいかにも重要な仕事の手伝いをさせてもらっているように思え、軽い興奮さえ覚えていた。
 信州の女性喜志子の眼は澄んで青かった。康哉にはきつい感じがした。それに比べ牧水は温かった。口数は少ないが傍にいるだけで心が吸い込まれるような気がした。
 それに父観禅、母咲子に対してさほど年齢も変わらないのに敬意を表していささかも崩さないところが嬉しかった。
 中学でも牧水の来訪が話題になった。同級の柴田晋一が是非うかがいたいと言った。

   
つづき 第87週の掲載予定日・・・平成21年7月26日(日)

時告ぐる鐘
(3p目/5pの内)





挿画 児玉悦夫
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