昭和61年9月17日除幕 長野県下高井郡山ノ内町 大字平穏 志賀高原満滝展望台 |
潤満瀧大正九年五月二十一日牧水高さ三百九十尺,幅六十二尺と認めた路傍 の棒杭は兎もあれ,とにかく珍しい瀧らしいので道からそれを見に行った。 瀧の懸つてゐる所から下に渓は両岸とも何十尺かの深い断崖となって切れ込ん だままずっと続いてゐるので,瀧の下あたりに近づいて仰ぐことは出来ない。 岸の断崖の一部に遠望する場所がこさへてあって,其処から三,四丁の間隔を おいて望むのである。 瀧と云えば大抵木鬱蒼たる中に懸っててゐるのを常とする。 鬱蒼とまではゆかずとも岩山の蔭とか峡間の奥とか必ずうす暗いような場所に のみ私共は見憤れてきた。 ところが潤満瀧は全くさうではないのである。 瀧の落口の左右はずっと打ち明けた様な高原でーその遠望に今私の見て通って きたさうじの山や燕岩などの嶮崖はあるがー瀧から川下は左右とも全然の禿岩と いっていい位ゐ丸裸の断崖である。 そしてよく解らないが瀧は多分南か西か,或はその中央かに面して落ちてゐので ある。 水量とても貧しくないそれが今太陽に向かって赤裸々に三百九十尺を落下してゐ る姿は歩き労れた私の心に少なからぬ昂奮を覚えしめた。 禿げ岩とは云っても左右の断崖には小さな雑木がばらばらと生えてゐて,まだ冬 のままの明るい姿を保ってゐるのも寧ろこの瀧にふさはしく眺められた。ことにその 雑木の中に二三の山桜の花のほころびかけてゐるのも風情があった。 その位ゐの高さなので瀧は幾つかの荒い縞を作って落ちてゐた。そしてその瀧 そのも よりその下の渓流が湛へつたぎちつ,自分の立ってゐろ断崖の下を細々 と流れてゐるのが更に私の目を慰めた。 暫く崖の上に横になりながらこの珍しい瀧を眺めて時を過ごした。 若山牧水全集 第6巻 静かなる旅をゆきつつ 「草津より渋へ」 より |