峠 に て 大正九年五月二十一日 牧水 この渋峠は草津から峠まで三里,峠から渋ま で四里あるのだそうだ。峠には風があった。今歩 いてきたとは反對の渓間から雲のちぎれが頻り に舞ひ昇って来るのであるが,それでも峠の附 近僅かな平地には薄々とした日が射してゐた。 以前あったといふ茶屋のあとが幸に風をよけ, 日をうけてゐるので,其處に虎杖草の枯枝を折 り敷き更に茣蓙を敷いて昼飯の席を作った。 時計は十一時であった。何よりも先ず私は持た せてきた酒の壜を取り出したが,さほどとは思わ なかった山の雪の意外にも深いのを知ったので, とても飲む勇気はなかった。 |
僅かにちびりちびりと舌のうへに零すのだが,その味ひはまた格別であった。 孝太爺も用心して,ほんの型ばかりしか受けなかった。我等の座って居る山の背は あたかも信州と上州との国境に當ってゐることを知った。坐って左手に見やる山から は山は上州,右手に見下ろす雲がくれのそれらは信州の峰である。風の當るせゐか 日光のためか,我等の坐った附近の木の根がたなどにはほんの僅かばかり雪が解 けて地面の表はれた所がある。そして其處をば必ず微かな水が流れてゐる。気をつ けて見るとそのかすかな木の根の雪解の水も,或るものは上州に向かって流れ或る ものは信州の方へ清らかな筋を引いてゐるのであった。 昭和61年9月17日除幕 長野県下高井郡山ノ内町志賀高原 |