沼 津 に 転 居
大正 九年 八月(1920)35歳


  
沼津「市道町」の家

沼津に転居した頃の牧水
  大正八年頃になると歌人としての牧水の名声は高く新聞
 や雑誌の選歌も多く自分の仕事も多いのに毎日歌の友が
 少い日で三四人、多い日は十数人来訪するので仕事をす
 る時間が無いので、タ飯を五時にいただきすぐ就寝して
 十二時には起きいで、仕事をしなけれぱならぬ不自然な
 生活ですので、これを解消するためと子供たちもあまり健
 康体でないので田園生活をするため、翌九年の八月沼津
 に転居しました。
  三人の子供たちは大喜びで、急に広くなった家の中や
 庭のあちこちを夢中になって飛び廻りました。

  香貫山 いただきに来て 吾子とあそび
        久しく居れば 富士晴れにけり

                   と環境を詠んでいます。



 焼  岳  登  山
大正 十年 十月(1921)36歳


 牧水は大正十年十月十六日に日本アルプスの焼岳に
登りました。この頃は日本アルプスの登山は八月中旬ま
ででしたので十月頃には登山案内者は居りませんでし
た。牧水は十年ばかり前に一度硫黄取りに行ったことの
ある七十歳の老人に頼んで道案内をしてもらいました。
途中で道に迷い命からがらの目にあってようやく下山し
二人共疲れてその晩は麓の旅館に泊りました。
 夕食の時命拾いの祝宴をいたしました。老人は唄った
り踊ったり上気嫌でした
  牧水は泣いたり笑ったり、我を忘れてながめました。

  としよりの よろこぶ顔は ありがたし
          残りすくなき いのちを持ちて


                       と詠っています。

 翌日老案内者と別れて高山に向いましたが、疲労のた
め足が利かず、コノという途中の山村に泊り、翌日高山
町に着きました。さらに翌日船津町に向いました途中神
原峠で雨がはげしくて持参した洋傘は役に立たず幸い
途中で買った一位笠を冠り、

心細いよ一位の笠に かかる時雨の 船津越え

と即興の伊那節を歌いながら夕方船津町に着きました。

焼岳?





  大正池?