第 14 週 平成20年3月2日(日)〜平成20年3月8日(土) 

第15週の掲載予定日・・・平成20年3月9日(日)

野 百 合
(3p目/12pの内)








 挿画 児玉悦夫
 美々津湾の左の出っ鼻、権現崎に福田と遊んだ日は、午後、小野
葉桜宅で連歌の会を催すつもりだった。
 おそい昼食のあと、葉桜の家でくつろいでいたところに延岡中学校
の同窓生堀井と金丸がたずねてきた。一緒に都農に立とうと言う。牧
水も河野佐太郎宅で夏休み初めの数日を過ごす予定だった。だが、
今すぐとは性急すぎる。それに連歌を楽しむ計画を立てている。断っ
た。
 だが、二人は強引に誘ってきかない。連歌の会など彼らの興味と
関心の外である。結局は、堀井らの押しに負けて同行した。
 実はわけがあった。都農町出身の延中教諭黒木藤太のあっせんで
同中学野球部が都農小学校の運動場を借りて夏休み初めの数日、
合宿することにしていた。
 町近辺の愛好チームと練習試合のスケジュールも組まれていた。
 部員のほかに応援やら野次ウマなど延中生多数が都農入りする。
一足先に行って、準備?を手伝おう1というのも、堀井らの口実にな
った。
 堀井は同夜、河野宅に一泊、翌朝、高鍋の実家にいったん帰った。
牧水は、二十、二十一日、葉桜から借りた薄田泣薫の『暮笛集』など
を読んで暑い日をすごした。
 二十二日に野球選手の一行がついた。菊池秋四郎部長以下意気
けんこう。さっそくユニホームに着かえて運動場に散らばった。
 牧水も金丸六也と顔を出した。選手じゃないが、ときおり学校でポー
ルを握っている。選手の練習相手をして一日がたった。
 翌日は柳田淳、鈴木美也夫、大見達也も来る。夕方、町に出ると
山崎、工藤、進藤ら同級生や後輩らが大勢やってきている。延中
の町・延岡″が、都農町に移転でもしたような顔々々に会った。
 試合は二十五日に計画されていた。ところが、この日は雨。お流れ
になった。
 初の合宿練習を土産に野球部員は引き揚げて行った。
 牧水も二十七日にはみこしをあげて坪谷に向かう。黒木教諭、級
友の門馬と都農の福田の三人も同道、まだ昨夜の涼風が残っている
早朝、都農を立った。
 美々津に着いたら乗合馬車の発車までに時間がある。葉桜を訪ね
たら不在。引き返したところへ、息はずませて追いかけてきた。
 馬車宿でしばし語り合って別れた。牧水と葉桜。歌が取りもつ二人
の縁は、学校友だちとまた一種異なる濃さがあった。
 富高で黒木らと別れて、牧水はひとり坪谷に向かう。東郷村境の切り通しを越えるころから、激しい雨になった。尾鈴は見えぬ。
 この夏から牧水の雅号がこれまでの『白雨』から『野百合』にか
わった。
 三十六年四月一日に創刊された回覧雑誌『野虹』は、五月初めに
二号、七月初めに三号が出ている。三号に、牧水の短歌五首が出
ているが、この歌から『野百合』と署名した。

 うらぶれの小笠に旅の歌もなく樹かげ泉の百合なつかしき

 『野虹』は、七月中旬に四号、八月初めに五号と続き、さらに九月
に六号、十月に七号と、毎月きちんきちんと発行している。
 ちなみに、その間に会員の入退会があったが、創刊当時の会員
は次の十一人だった。

   大内財蔵(春江)   延岡本小路
   河野新三 (眠花)  延岡町舟倉
   伊藤金蔵(月舟)   延岡川原町
   若山 繁(白雨)   延岡新小路黒木方
   猪狩 毅(白梅)    同
   小野岩治(葉桜)  児湯郡美々津新町、金丸医院内
   後藤初太郎(野里) 宮崎町生目
   岩崎武雄(崖華)  東諸県郡稽佐村字小山田前原
   前田良彦(霧岳)  北諸県郡都城町新馬場
   吉田 律(竹陰)   岡山市岩田町八一番地松田善太郎方
   大見達也(桂嵐)  延岡桜小路

 桂嵐が年齢と作歌の経験度合いから編集兼発行人におされて
いる。
 牧水は『野虹』のほか日州独立新聞にも相変わらず精力的に投
稿、夏休み中の八月五日から十三日までに三十三首を発表する。

 ほほえみやなやみかなしみ血の痩せに君入相の鐘きき給へ

 数ふればはやも七つか入相の雲は憂き色野を流れ行く

 野の風に丈けの朝髪なぶらせて百合に笑む子をねたましと見き

 百合出でて朝野流るる水色の四つの袂を吹く青嵐


 だが、日州独立新聞への投稿はこの月の歌で、個人としても、野
虹会詠草の一員としても終わる。個人としては六回、会で一度掲載
されている。詠草中の牧水の歌は

 磯の香や霧に消えゆく人の名を石に刻めば夕潮よせぬ

 いずれも『若山野百合』としている。
 大悟法利雄氏が調べたところでは、牧水が三十五年夏、泳花の
歌に触発されて投稿以来、三十六年夏までに日州独立新聞『独立
文界』に掲載された歌は、個人名のものだけで百六十六首に及んで
いる(若山牧水新研究)。
 牧水の作歌に対する意欲と精進ぶりに舌を巻く一方、無名の一
中学生の歌を一年にわたって掲載した編集者の識見に敬服する。
野 百 合
(4p目/12pの内)









 挿画  児玉悦夫
野 百 合
(5p目/12pの内)










挿画 児玉悦夫
 坪谷に帰りついたのは午後五時ごろ。両親や姉シヅらもみな変
わりない。『故郷はなぜ斯く好きな、佳い所で候にや』。
 翌朝は晴れ。牧水の好きな坪谷は坪谷川の川面と、谷あいか
らわき出ずる濃い霧にすっ...ぽりつつまれている。尾鈴は見えず
近くの山、向かいの坪谷神社あたりの森の姿もおぼろ。さながら
うす墨絵である。
 幾日かすごしてきた美々津や都農の朝の光景とは別の趣があ
る。朝露の冷たさを足に感じながら家の周囲を歩いてみる。
 坪谷に帰った朝のいつもの日課だった。 そのうちに叔父が住職
をしている寺の進や近所の年下の子供らが、来る。幼い子らは通
路から珍しげに家内をうかがっている。
 雑誌を読んでもらうには、はや牧水がおとなびてきている。
 牧水は友人から送ってきていた『噫無情』や雑誌『文芸界』を読
んだり、倦(う)めば坪谷川に釣りに出かけたりで暑い夏の日をす
ごしている。相変わらず多いのは手紙の発信と受信。往復のない
日は一日もない。
 先の日州独立新聞への投稿は、短歌だけでない。筆のすさび
に俳句も送ってみる。良い一日をもてあましぎみのところもある。
 そんな日は『全くの有耶無耶の日にて候』『有耶無邪、ますます甚
し』と、書いて他に日記に記す事柄もない。
 九月に入ってから裏山に栗拾いに行った。四日は一升あまり拾っ
て、マキに栗飯をたいてもらう。翌五日からは旧のうら盆。近所の
人たちと本村に盆踊り兄にも出かけた。
 娯楽施設などない坪谷にもときどき遊芸人が舞い込んでくる。六
七日と二晩、左右ヱ門語り(浪曲)を聞きに行った。村人は楽しん
でいるが、牧水にはおもしろくもない。
 それより、明日から延岡へ出る。単調な坪谷の明け暮れではあ
るが、故郷を離れるとなると悲しくも思われる。牧水は、子供のこ
ろから坪谷の自然と肉親にいつも切り離せないつながりを抱いて
生涯を生きている。
 あたり前のことだが、とくにその思いが深かった。それが、後年
の彼の歌の基調のひとつになっている。
 八日午前四時に出発。両親と故郷に『名残はつきじただ後会を
期せむ』

 山陰まで歩いてそれから馬車。富高までは東郷村の人たちと同
乗、話もはずむ。富高から延岡へ。乗り継いだ馬車には、夏休み
の初め、都農で会ったばかりの美しい女性とひざつき合わせる幸
運に恵まれた。
 なんとなく、ついている−と、愉快になる。
 午後四時半、延岡着。山陰で小学校に寄って時間をつぶしたも
のの、十二時間ほどもかかっている。
 九月八日に延岡の下宿にかえったが、二学期が始まったのは十一日
から−。それま“ては今山八幡に登って歌を詠んだり、南町に掛け小屋
がしてあった動物見世物をのぞいたり、東海で船釣りを楽しんだり、夏
休みの残りの日日を思い切り楽しんだ。
 この夏をもって牧水の中学時代の夏休みはなくなる。来年春は否応な
しに卒業後の進路が決定される。内心気もめのことだが、思いわずらう
よりはーと、つとめて気のむくままに毎日をついやしていた。
 だが、ひとりになって窓に近い机に向かうと、読むべき書籍を開いたも
のの、思いは過ぎし坪谷での夏休みにかようことが多かった。
 ことしも、次姉トモと小学校の校長である夫今西吉郎との間の良男稔
と夏休みの幾日かを共に過ごした。
 今西夫妻は十一人の子持ち。稔はその長子。トモは出産のたびに坪
谷にかえり、母マキに産婆役をたのんだ。そのたびに稔も坪谷について
きた。
 しょっちゅうだから坪谷では若山家の名物?になっていた。
 『もうそろそろ、おトモさんが帰ってくるころじゃが−』
 村人がうわさするほどしげしげと帰った。
 このため、牧水と稔とは幼いころからしたしい。年齢からいっても、叔父
おいというよりは実の兄弟のような仲だった。
 夏、冬、春。学校が休みのたびに二人は坪谷で幾日かを一緒にすごし
た。釣りに行けばびく持ち、山に栗拾いに登ればかど、山芋を掘れば山
グワをかつぐ。それが弟分稔の役目だった。稔にはそれがうれしかった。
 ときには夕方、隣の集落野々下まで牧水の使いで買い物に行った。帰
りに現在牧水歌碑がある掘割りを越すころには暗くなる。右手の稲荷山
の朱塗りの鳥居が気味悪い。ここのキッネはいたずら者で砂をかけるそ
うだ。
 稔は足がすくんで坂を越せない。そのころ、四国から移住してきたば
かりの近くの越智のおせんおばさんに送ってもらったこともある。
 おせんおばさんは、のちにはマキと並ぶ坪谷の気丈な女性でとおった。
歌人越智渓水は同家の出身である。
 牧水が稔の度胸をためしたものだった。泣きっつらで門口を入ってくる
のをニコニコ笑って出迎えていた。
 肉親や近所の人々と過ごした夏休みの日々。延岡にもどって級友の
だれかれと会って話をしてきたが、机の前につくねんとしていると、悲し
いまでになつかしまれてくる。
 中学最後の夏休みもこれが最後。若い詩人の心を感傷的にしている。
だが、彼にはそうこうしておれぬ期日が近づいていた。

   
つづき 第15週の掲載予定日・・・平成20年3月9日(日)
野 百 合
(6p目/12pの内)








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